「つば九郎に涙した私が気づいたこと」—世間の感情に流されないために

皆さん、つば九郎をご存じですか?東京ヤクルトスワローズのマスコットです。
スワローズHP

 
2025年2月16日、長年つば九郎を支えてきた担当社員の方が亡くなりました。
私はその訃報をニュースで知り、とてもショックを受けました。
  

photo by briankapeesh

 
最初に申し上げておきますと、私はヤクルトスワローズのファンではありません。
(どちらかと言うと、つば九郎が大嫌いな、同じ東京に本拠地があるオレンジのウサギがいる球団のファンです。)

 
それでも、その訃報に触れて悲しくなりましたし、ニュースを見るたびに気持ちが沈みました。でも、ふと思ったんです。
「私って、そんなにつば九郎に思い入れがあったかな?」

 
もちろん、つば九郎のことは知っていましたし、“畜生ペンギン”とも呼ばれるつば九郎のゲスな発言を、楽しませてもらっていました。
でも、神宮球場に会いに行ったこともなければ、常にウォッチしていたわけでもありません。なのに、なぜこんなに悲しくなるんだろう?

 
自分の感情の出所を考えてみたとき、見えてきたのです。
「私は、つば九郎を支えていた方の死を悼む、多くの人の気持ちに共鳴していたんだ」

 
ニュースでは、つば九郎と親交のあった方々の追悼の言葉が紹介されています。
(特に、現ヤクルト監督・高津臣吾氏の直筆の手紙には胸を打たれます。)
つば九郎の動画には、ファンの悲しみのコメントが並んでいます。

 
その人たちの気持ちに共感したことで、私も悲しくなり、気持ちが沈んでいたんだと気づきました。そして思ったのです。

 
もちろん、他人の感情に共感できるのは人間の素敵な一面です。相手の気持ちに寄り添うことで、その人の悲しみが和らいだり、喜びが増したりするでしょう。目の前にいる相手に共感するのは大切なことだと思います。

 
ただ今回のように、世の中のニュースに触れて、多くの人の感情、いわば「世間の感情」に共感するのはどうなのでしょうか?
悼む気持ちや喜びならいいかもしれません。
でも、もしそれが怒りや責める気持ちだったら?
そして現代には、その感情を発信できる手段もあります。

 
人の気持ちに共感するのは人間らしく、関係を深める大切な要素です。でも、世間の感情に飲み込まれてしまうと、自分の心から生まれた感情以上に引きずられてしまうことがあります。また、同じように感じないといけないような気分になることもあります。世間の感情は大きいですから。

それは、世間に振り回されているとも言えるのではないでしょうか。

 
日々、さまざまなニュースに触れる私たち。もしニュースを見て感情が大きく揺れる時、「これって私の感情かな?」と問いかけてみてください。

 
今日の質問

 
インストラクター
小野 陽子(おの ようこ)

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